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庄地協の活動や行事、地域の情報を記載しています
昨年に続き、今年も人権学習研修視察は「一揆」ものになりました
渋染一揆とは、江戸時代末期、今の岡山市~備前市にかけて起こった一揆のことです

の前に・・・
やはり気になる「ふれあい花壇」のひまわり

おぉemoji咲いてるではありませんかemoji
しかも、まだこれから咲きそうな蕾も見えます


が、足元は・・・

もう終わり?emoji
次の草取りまでの命かな?

さて、話を戻しましょう
(渋染一揆につきましては、文末に簡単に書いております)

私が到着してすぐ、バスも到着
参加の皆さんも続々到着し、出発ですemoji


公民館館長の後、小林会長の挨拶です
資料はバスの乗車時に配られています

まずは「常福寺」(岡山市葵町)です

渋染一揆に際しては、ここでしばしば寄合がもたれたそうです


今回の案内&講師は教育委員会の大月参事です
参加の皆さんも、真剣に話を聞かれています


本堂の隣には大きな銀杏の木が・・・
本堂は新しいものですが、銀杏は当時からここにあるそうです
一揆の発端を見ていた銀杏ですね


次に訪れたのは「岡山市人権啓発センター」(岡山市神下)です
話を伺った2階に上がる階段には

渋染一揆関係の展示物がずらり
一揆の後、12名が投獄されそのうち6名が獄死したそうです
その6名のうち5名が、ここ神下の者であった為
この地にセンターも建てられたようです


ここでの講師は、人権啓発センター・友信センター長です
まだまだ勉強中とのことでしたが、詳しく話して頂けました

自作の資料や、黒板に文字を書きながら熱心に話されていました
最後には地元の方にも、ご挨拶を頂きました


続いて、そのセンターのすぐ近くにある「渋染一揆資料館」に向かいました

資料館の隣に「渋染あります一揆跡の碑」があります
その碑には、獄死したこの地区の5名の名が刻まれています

その碑に小林会長が花を手向け、全員で合掌・・・


渋染一揆資料館です
残念ながら館内は撮影禁止でした



市内に戻り昼食の後、「福岡城址」を訪ねました
一揆勢が集結した場所だそうです

資料には「稲荷竹藪」とあるように、今は稲荷神社となっており
場所は、吉井川河川の長船カントリークラブの敷地内にあります

なので、すぐ隣はゴルフコースとなっています
ボールが飛んで来て普通は危ない所ですが
先日の雨で吉井川が増水、ゴルフ場も水をかぶり整備休場中で安全でした


ここでは説明の後、記念撮影です


続いては「妙興寺」(瀬戸内市長船町福岡)です

渋染一揆的には、無住であった本住坊に代わって
入牢者の赦免の嘆願書を曹源寺(後述)に提出しています

が、今はこれっしょ!

黒田官兵衛・・・、来年の大河ドラマの主人公です
その官兵衛ゆかりの地がここ、長船町福岡です
妙興寺にはその墓所があります


これがその福岡の街並みですが
来年はここに人が、いっぱい訪れるのでしょうか?

その墓所を訪れてみましたが

どうもはっきりしません、たぶんこのお墓だと思います


その次は一気勢野営の地・交渉(対決)の地を訪れ
最後の訪問地、「曹源寺」(岡山市中区円山)に向かいます


一揆の入牢者釈放についての嘆願書を岡山藩に働きかけたお寺です
ご存じのように岡山藩=池田家です
その池田家の菩提寺が曹源寺だったため、ここにお願いしたようです

残苑ながらここには、表向きには一揆の影はありませんでした

有名なしだれ桜の庭を散策し、池田家墓所を探しますが案内無しでは・・・


ここは、外国人の修行者受入れのお寺としても有名です
墓所を探し始めて最初に出会ったのがこの二人の外国人です
ほぼ、日本語が通じなかったのですが、なんとか辿り着けました!


案内してくれた女性修行者の方です
ありがとぉーー


さすが池田家の墓所です、すごい!

残念ながら、昨年亡くなられた池田隆政さんも眠ってらっしゃいました


これにて一行は帰路に・・・、研修視察も終了です
昨年に続いての「一揆」研修となりました
参加者の皆さんは、何を感じられたでしょうか?
確かなことは、今後の人権学習に必ず役立ったことでしょう
今回は少しだけ足をのばせば、訪問できる場所です
是非みなさんも、訪問されてはいかがでしょうか?

<< 渋染一揆概略 >>
渋染一揆とは、江戸時代末期(幕末)の1857年(安政4年)に起こった
備前国岡山藩の被差別部落住民53団による強訴である
事件名称は昭和時代に一揆とされた
岡山藩の被差別部落民は、藩士より農業指導を受け
農業生産を生業としていたため、他藩の被差別部落民より生活水準は
良い状況であったと言われる
しかし、池田慶政の財政再建のための藩政改革の柱の一つである
藩内の全ての者に対する質素倹約の方針のあおりを受けて
1856年(安政3年)に出された倹約令・別段御触書により
被差別部落民は公式の場の紋無し・柿渋による渋染の着衣
下駄履きの原則禁止などを強制されたことに対し
各部落の代表者が集まり白い死装束を着て非武装で強訴をおこない
武装した藩士と交渉した結果、嘆願書を藩主に渡すという要求は
実現し御触書は撤廃された
ただし首謀者は厳しい取り調べなどにより死亡した
(出典:Wikipedia)


(END)

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